2017.12.20
2017年12月20日
一般財団法人東京顕微鏡院
食と環境の科学センター 名誉所長 伊藤 武
米国や欧州においてはHACCPシステムによる衛生管理が義務化されてきましたが、国内ではHACCPの導入が著しく遅れているし、食品による健康被害(食中毒)が以前よりは減少したが、現在では下げ止まりであることから、厚生労働省ではHACCPの義務化の検討が進められています。HACCPの導入により、人の健康被害が減少することが期待されていますので将来の展望について考察いたします。
人の健康保護を図るために食品衛生法第6条には有害な物質や病原微生物など人の健康を損なうおそれのあるものは採取、加工、製造、輸入、調理、陳列、販売してはならないとされています。これに従い病原微生物対策としてはこれまでに汚染防止、増殖防止、死滅対策を中心に各種の法的規制や政策が施行されてきました。 食品の加工・製造に関しては販売される製品の規格基準が制定され、これらの要求基準を満たすために製造工程における衛生対策や各種の規制による指導が行われてきました。
平成15年には食品の流通が国際的に拡大し、食品を巡る環境の変化により国際的な整合性や新興・再興感染症、BSEの発生などの問題に対応できる食の安全確保のためにリスクアセスメント概念を導入した食品安全基本法が制定されましたし、食品衛生法の大改正が行われました。
新しい視点からの衛生管理が導入されてきましたが、食の安全性には最終食品に重点がおかれた対策が推進されてきました。
平成27年1月に厚生労働省の食品安全部に新たな組織としてHACCP企画推進室を設置し、平成28年からHACCPの検討が始まり、28年12月には最終とりまとめ案として国内のあらゆる食品企業を対象にHACCPの義務化が提案されました。この改正は平成15年に次ぐ大改正であり、平成30年の通常国会でHACCP義務化など食品衛生法改正の審議が進められる予定です。国内には大規模な食品加工・製造企業がありますが、中小の食品企業が多数あることから、すべての食品企業にHACCPを義務化するには基盤の脆弱な小規模にも対応できるために厚労省は基準Aと基準Bの2通りのHACCPを提案しています。
基準Aは国際的に認証された コーデックス委員会のHACCPであって、大規模な食品企業やと場や食鳥処理場などが対象となります。基準Bは一般衛生管理を基本とし、HACCPの考え方に基づく衛生管理計画表を作成します。対象業種は従業員数が一定数以下の小規模事業所、小売のみを目的とした加工、調理施設(菓子製造、食肉販売、魚介販売、豆腐販売など)、提供する食品の種類が多く、日々提供頻度の変更が高い飲食店、給食施設、総菜製造業、弁当製造業、その他に一般衛生管理による管理で対応が可能である包装食品販売業や食品の保管業・運搬業などです。
基準Aおよび基準BによるHACCPの基本は従来の衛生管理と異なり食品加工・製造業工程や調理工程ごとの連続した衛生管理です。工程ごとに人に危害を及ぼす生物的要因(サルモネラ属菌、腸管出血性大腸菌などの病原微生物、寄生虫など)、理化学的要因(残留農薬、ヒスタミン、食物アレルギー物質など)あるいは物理的要因(機器の破損による金属類など)を明らかにし、これらの危害要因の除去であります。各工程を科学的に分析し、危害要因を必ず除去しなければならない工程を重要管理点(CCP)としています
従来の最終製品の検査成績で安全性を確保するためには検査対象が莫大な件数になり、実行不可能です。また出荷前には食品の安全性を担保するためには短時間でデータが得られる検査法が必要となりますが、そのような検査法は開発されていません。
しかし、工程を計画的に監視するシステムであれば、安全な食品の確保が迅速に対応できます。しかも農産物、水産物、畜産物の生産段階から製造・加工、流通、販売、調理から消費までのフードチェーン全体の過程がHACCPによる衛生管理ができることにより、現在の衛生管理よりはより高い衛生管理となり、その結果として人の健康被害の減少に結びつくことと確信されております。
一般衛生管理とは5S(整理、整頓、清掃、清潔、習慣)を含めて表4の各種の衛生管理があります。 HACCPを構築するためには土台となる一般衛生管理を構築しておかなければなりません。
図2に示すように、食品の安全性を求めた衛生管理は危害分析と重要管理点のみで達成できるわけではありません。原材料の保存・解凍には適切な温度管理が求められます。製造機器や調理器具の洗浄・消毒により微生物の除去が行なわれます。あるいは全ての工程に人の関与があることから手指を介した病原微生物の汚染が推察されることから手洗いが必要です。従って、一般衛生管理を土台にしたHACCPの構築が求められます。
これまでに一般衛生管理の徹底によって食中毒が減少した事例として腸炎ビブリオ食中毒と学校給食による食中毒の例があります。
腸炎ビブリオ食中毒の原因食品である「刺し身」や「寿司」は日本の生食文化の代表であります。加熱による工程がなく腸炎ビブリオ食中毒防止は困難であると長く考えられていました。平成13年に厚労省は腸炎ビブリオ食中毒対策を策定しました。
「刺し身」や「寿司」などに腸炎ビブリオ汚染を最小限度に抑制すること、即ち捕獲後の魚への腸炎ビブリオ汚染防止の対策として殺菌海水など腸炎ビブリオ陰性の安全な水を使用すること。また、腸炎ビブリオの増殖防止のために低温保存の励行が取られました。人への感染リスクを低減化するために、生食する魚介類は腸炎ビブリオの汚染菌量を1g当たり100個以下とした規格基準が制定されました。
魚市場から流通、飲食店、消費者までの各工程これらの一般衛生管理である温度管理が徹底的に実行されたことにより、昭和40年頃では腸炎ビブリオ食中毒の発生件数が500件以上、患者数が1万名以上でありましたが、平成13年以降著しく減少し、平成27年の統計では腸炎ビブリオの集団発生例3事例、患者数が224名と報告されています。
学校給食による食中毒は平成元年頃では約20件の発生があったが、文科省は平成9年に学校給食衛生管理の基準を制定しましたし、基準を達成するために各種の衛生管理マニュアルの作成とそれによる指導を行ないました。徹底した一般衛生管理の実行により現在では5件以下になりました。
例えば、調理室を汚染と非汚染の作業区分けを明確にし、汚染防止が図られました。また、ドライ運用により、水による微生物の汚染の広がりが防止されました。3槽シンクによる野菜の洗浄、手洗いの徹底などこれらの各種の一般衛生管理の推進により食中毒が減少したと考えられます。
腸炎ビブリオ食中毒や学校給食の食中毒は厚労省や文科省の政策のバックアップにより事業者が積極的に一般衛生管理を推進したことにより安全な食品が消費者や学童に提供できたためでしょう。
これからの食の安全性確保はHACCP導入と同時に一般衛生管理の構築が重要課題であると考えられます。特に小規模施設では一般衛生管理がまだまだ不十分であることから、その充実が必要でしょう。
食中毒による患者数が年間約2万名、届出されていない散発性の患者数は200万名以上あると推測されていますが、HACCPと一般衛生管理の確実な実施により、これらの食品による健康被害の低減化に大きく貢献できると考えられます。
HACCP導入を確実なものとするためには国の強いリーダーシップや教育・指導が必要ですし、生産、食品加工・製造、飲食店、集団給食施設など食品産業界の意識改革と強い実行力が求められます。