2023.02.21
2023年2月21日
(一財)東京顕微鏡院 学術顧問 伊藤 武
東京都健康安全研究センター 微生物部 森 功次
今年4年目を迎える新型コロナウイルス感染症は全世界の多くの研究者がたゆまない努力を重ね、感染症撲滅の研究を行っている。
ところで、現在国内に発生する集団食中毒で最も多い病原微生物はノロウイルスであることは周知の事実であろう。ノロウイルスの感染源もコロナウイルスと同様に人である。ノロウイルス感染による死亡率は低いことが幸いであるが、国内に限らず米国、EU諸国あるいはオーストラリアなど全世界で多くの被害を与え、パンデミックに近い発生状況である。
これほど重要であった病原体が長らく解明できなかったのは何故であろうか。ノロウイルス発見の陰には多くの研究者の未知の病原体探索の物語がある。
下痢症(胃腸炎)の原因菌はサルモネラ、病原大腸菌、黄色ぶどう球菌などの病原細菌が早くから解明されていた。しかし、未知のウイルスが下痢症の原因であると推察される流行例も国内外で多く報告されていた。
1947年頃から和歌山、新潟、群馬、埼玉、茨城、栃木、東京などの地方で下痢を主徴とする胃腸炎疾患の大流行が認められ、病原体究明のための検討が進められていた。その中で最も大きな流行が、1953年6月千葉県茂原市および隣村の7,191名の下痢症患者の発生で、「茂原下痢症」と呼ばれた1)。
潜伏時間は2~3日、症状は腹痛、水様下痢、時に嘔吐、発熱は37~38℃であった。感染経路は飲料水に下水が混入したと考えられた。細菌性の病原体は陰性であったことから、ウイルスの検索が実施されたが、組織培養からは原因のウイルスは見つからなかった。
さらに解明を進めるために、患者の下痢便をシャンベラン濾過器(ウイルスはろ過されるが、細菌はろ過されない)で濾液(ウイルスを含む)を調整し、3名の学生に人体感染実験がなされた。3名とも症状には差が見られたが、水様下痢、潜伏時間が最短18時間、最長78時間で、集団例とほぼ同様の臨床像であったことから、「茂原下痢症」はウイルス性疾患と考えられた。
その当時、多くの原因不明の伝染性下痢症の原因究明のため篤志家による人体感染実験が行われウイルスが原因とされた流行例が国内外からも多数報告されたが、ウイルスを培養できなかったことから原因が判明しない、という苦難の時代であった(表1)。
1968年10月30~31日にかけて、米国オハイオ州のノーウォーク小学校で集団下痢症の発生があり、232名の患者が認められた。症状は嘔気、嘔吐、腹痛、下痢などであった。感染源は学校のカフェテリアで提供した昼食と考えられた。原因究明からは既知の病原細菌やウイルスは検出されなかったが、下痢患者の糞便の濾液による人体感染実験から、原因はウイルスであることが推察された。
米国の国立衛生研究所のKapikian博士ら2)は、この流行について培養できないウイルス性下痢症の原因究明に、新しく開発されてきた免疫電子顕微鏡による形態学的な検討を進めた。1972年、患者の糞便液から直経27nmの球形粒子を発見したとウイルス学の学術雑誌に発表した。本ウイルスは表面構造が粗造で、辺縁は鋸歯状であった。
本ウイルスが嘔吐下痢症の原因菌と決定するために発症者の抗血清と球形粒子とを反応させ、免疫電子顕微鏡法による観察をした。図1に示すように患者の抗血清と特異的に反応する電子顕微鏡像から、この球形ウイルスが集団下痢症の原因菌であると決定された。
不明下痢症として多数の流行例が認められてから約25年後に、ウイルスの本体が確認されるようになった。その後このウイルスの形態的特徴からsmall round structured virus(SRSV:小型球形ウイルス)と名付けられた。
Kapikian博士らの論文から世界各国の多くの研究者が電子顕微鏡観察によるウイルスの探索に取りかかった。国内では1978年から岡田ら3)が小児科の急性胃腸炎患者や、保育所・小学校での冬季嘔吐下痢症患者を対象に、電子顕微鏡による検索から多数のSRSVを発見していた。
元東京都立衛生研究所ウイルス研究科では岡田から免疫電子顕微鏡法の手技を教わり、1984年からSRSVの検査を実施した。検査対象は東京都内で発生した食中毒患者のうち、著者らの細菌学的検査で陰性となった糞便を対象にした。原因食品がカキを喫食した患者を対象としたところ、1984年から1986年に30事例の患者糞便からSRSVが証明された。
喫食場所は飲食店が多く、その他旅館、家庭などであった(表2)。しかし、カキ以外の食品による非細菌性食中毒例も認められ、1985年から1986年ではこれらの事例15例の患者糞便からSRSVが検出された。発生場所は学校が多く、幼稚園や旅館、仕出し屋などであった。SRSVはカキを原因食とする例が多いが、カキ以外の食品からの食中毒例も明らかにした。
カキが原因食品と推定されるSRSV食中毒
1985年 12事例(飲食店、ホテル、家庭)
1986年 11事例(飲食店、ホテル、家庭)
カキ以外の食品が原因と推定されるSRSV食中毒
1985年 8事例(学校、幼稚園、ホテル、仕出屋、飲食店)
1986年 7事例(学校、仕出屋、寮、旅館)
元東京都衛生研究所の安東ら4)は早い時期からSRSVが食中毒の原因ウイルスとして極めて重要であることを指摘した。さらに、SRSVは人から人への感染(乳児などの嘔吐下痢症)や高齢者施設での集団発生にも関わることから、SRSVの検査の普及が急務となってきた。
1987年に「下痢症ウイルスに関する検討委員会」(委員長:山崎修道)が設立され、全国の地方衛生研究所などを対象に免疫電子顕微鏡を普及させるためにSRSV検査法の講習会が元都立衛生研究所で開催された。それ以降全国的に電子顕微鏡によるSRSV検査が実施されるようになり、1995年に全国ウイルス性食中毒研究班が設立された。これらの報告を受けて、厚生労働省は1997年にSRSVを食中毒の原因ウイルスとして認知した。
SRSVは既存の各種の組織培養や発育鶏卵培養によっても培養には成功していないし、マウスなどの実験動物にも感染しない。1980年代後半頃から米国を中心に患者から検出されたSRSVの遺伝子解析が積極的に検討されてきた。1990年には米国のJiangら5)がSRSVの特異的な遺伝子のクローニングに成功し、この遺伝情報から逆転写反応により相補的DNAを作成し、逆転写PCR法を開発した。
これまでの形態学的検査から、遺伝子による画期的な検査が可能となった。その後国内でも逆転写PCR法を活用して患者やカキなどの食品からノロウイルス検査が実施されるようになってきた。1995年には全国ウイルス性食中毒研究班が設立され、発生状況や感染経路などの解析、遺伝子検査の研修など様々な研究活動が進展してきた。
国際ウイルス分類委員会は2002年に小型球形ウイルスの分類学的な検討から、SRSVの学名をノロウイルスと定めた。
昭和20年代に各種の不明下痢症の原因究明のため、人体感染実験からウイルスが原因であることが疑われたが、当時の検査材料が保存されていないことから、確証が得られなかった。著者ら6)は1966年に東京都でカキが原因と推察される食中毒が52事例、患者655名であったことを明らかにした。
その後においても同様な原因不明の食中毒事件を多数経験した。これらの事例の疫学的調査からは各種の特徴が認められた。①秋から冬にかけて多発、②潜伏時間は概して長く図2のごとく12~48時間(平均36時間)、③主症状は嘔気、嘔吐、下痢、腹痛、軽度な発熱(図3)、④喫食歴に生カキや酢ガキが多い、カキの産地や鮮度とは関係がない。
既知の細菌学的検査からは原因は不明とされたが原因食品がカキであることから、カキエキスや人工海水などで調整した様々な培地、培養方法、培養温度等からの検討を行ったにもかかわらず、原因を究明できなかった。また、電子顕微鏡でウイルスを検出するために他の研究機関とも共同研究を開始したが、腸管内にはバクテリオファージと呼ばれる様々なウイルスが多数存在し、電子顕微鏡の操作技術や豊富な経験が要求されることから、当時の技術では残念ながらウイルスを発見できなかった。
カキによると推定される原因不明食中毒の疫学的調査からは多くの共通点が認められ、同様な食中毒が毎年多数発生があったことから、非細菌性の食中毒の原因が究明された暁にはこれらの患者の糞便が活用できると考え、-20℃の凍結状態で保存した。
はからずもウイルス研究科のMoriら7)は、凍結糞便について逆転写PCR法によるノロウイルスの検査を実施したところ、予測されたごとく、1966年の事件から2件のノロウイルスが見事に証明され、電子顕微鏡での検査が導入されるまで1983年までの不明食中毒70件中49件がノロウイルスであること、またその遺伝子型も決定された(表3)。
過去の凍結された患者糞便から遺伝子検査によりノロウイルスと決定され、ノロウイルス食中毒は1966年以前のかなり前から国内に土着していた食中毒であると考えられる。
食中毒事件70件、中49件がPCRによりノロウイルスと決定
ノロウイルスは多くの遺伝子型(抗原)があり、培養ができないことから、免疫学的検査法は遺伝子検査法より遅れて開発された。PCR法のような核酸増幅検査は感度や特異性が高く、すぐれた方法であるが、多数の糞便検査を実施する場合には処理時間が長くなるなど問題点があることから、ノロウイルスの抗原を検出する酵素抗体法(ELISA法)やイムノクロマト法などが開発されてきた。
食品従事者の定期的健康診断として開発された免疫学的検査法であるBLEIA法(生物発光免疫測定法)8)は検査感度が高く、迅速性があり、厚生労働省はPCR法に加えて、105ウイルス量が検出できるBLEIA法もノロウイルス検査法として推奨した。
2012年BLEIA法の自動検出機器が販売され、(一財)東京顕微鏡院 も2014年からこれまでのPCR法検査に加えてBLEIA法を導入、食品従事者の健康診断としての腸管系微生物検査に活用し、迅速にノロウイルス検査を実施している。
原因不明の感染性胃腸炎の原因解明のため、人体感染実験など数多くの研究者の努力によりウイルスの関与が疑われ、電子顕微鏡によるウイルス粒子の検査が導入された。培養できないウイルスであっても、遺伝子検査法の進展により原因ウイルスの遺伝子配列が解明され、遺伝子検出技術により、SRSVの新型ウイルスはノロウイルスと命名された。
その原因の解明には多くの研究者が関与し、ノロウイルスの感染予防対策を確立してきた。また、ウイルス発見の嚆矢となった電子顕微鏡はロタウイルス、サポウイルス、アストロウイルスなどの検出にも活用され、病原微生物の基礎を築いたとも考えられる。
1. 斎藤俊弘:日本医科大学雑誌,25,939-955,1958
2. Kapikian A.Z.et al: J.Virol,10,1075-1081,1972
3. 岡田正次郎:食品と微生物,4,93-102,1987
4. 安東民衛ら:食品と微生物,4,103-114,1987
5. Jiang X.I.et al: Science: 250,1580-1583,1990
6. 東京都衛生局 生活環境課食品衛生課:食中毒予防の豆知識,114-116,1991
7. Mori K.,et al: Jpn J Infect Dis: 70,143-151,2017
8. 酒巻 望:モダンメディア,63,138-144,2017