2023.06.12
2. 原因不明食中毒の解明を果たしたノロウイルス食中毒 から続く
2023年6月12日
(一財)東京顕微鏡院 学術顧問 伊藤 武
臨床微生物部長 柿澤 広美
遺伝子診断によりノロウイルス食中毒の実態や予防対策の提言が多数報告されているが、予防効果が顕著に現れてこない理由は何故なのか。人からヒトへの感染による散発患者は米国では年間3千万人とも言われていたが、国内の実態はどうだろうか。危害リスクの高い生カキを原因食品とするノロウイルス患者が多いのは何故か。
今回はノロウイルスの流行や予防対策に関わる諸々について夢物語でまとめてみたい。
ノロウイルス患者の症状は嘔気、嘔吐、腹痛、水様性下痢、倦怠感などであり、重症化する患者はほとんどいない。嘔吐による誤嚥性肺炎や脱水症状で高齢者が時には死亡することがあるが、集団事例では確かこれまでに1名が報告されたに過ぎない。小児や学童では嘔吐が頻発であり、小児嘔吐下痢症とも呼ばれている。激しい水様性下痢のために脱水症状となることから、輸液が必要となることもある。発熱はサルモネラ食中毒やO157食中毒のように38℃以上になることは少ない。また、O157感染症でのHUS(溶血性尿毒症症候群)や、カンピロバクター感染症での運動神経麻痺であるギラン・バレー症候群のような重症化も起こさない。
新型コロナウイルスは感染性が高く、人からヒトへの感染が拡大し、パンデミックとなる。さらには重篤な肺炎を起こし、死亡率が極めて高いことから治療薬やワクチンの開発が急務であり、その開発も短期間で順調に進み、多くの人びとの命を守ってきた。ノロウイルス患者は食中毒や散発下痢症として多数の患者発生が認められるが、対症療法で治療できること、適切な治療により死亡もないことから特別な治療薬やワクチンの開発も求める必要はないだろう。ノロウイルスの遺伝子解析が進み、カプシド領域(VP1領域)においてもGⅠ(14遺伝子型)、GⅡ(26遺伝子型)からGX(1遺伝子型)までの10遺伝子群と60遺伝子型に分類され、多岐にわたり、その時の流行により主たる遺伝子型が変動する。新たな遺伝子型の出現も考慮しなければならないことから、ワクチンの開発は困難であるかもしれない。
ただし、学校給食や事業所給食など、あるいは仕出屋(弁当)やホテルでの大規模な集団発生が頻発しており、予防が可能であるにもかかわらず食中毒予防ができていないことに対する社会的責任は問われるだろう。さらにはノロウイルス食中毒による入院費や治療費あるいは休職による経済的損失も無視できない。
食品媒介のノロウイルス患者数は食品衛生法により診断した医師からの届出が義務化されており、全国的な発生動向は毎年報告されている。しかし散発性のノロウイルス患者は5類感染症の感染性胃腸炎に分類され、全国の小児科医約3,000ヶ所からの報告が集計され、発生動向が把握されている。ただし、感染性胃腸炎の病原体はノロウイルス以外にサルモネラ、病原大腸菌、カンピロバクター、あるいは胃腸炎ウイルスなどが関与し、ノロウイルスの患者数の把握ではない。ノロウイルスは集団食中毒患者以上に散発患者が多数存在することが予測されているが、その実態や年次推移も明確ではない。さらにはこれらの患者の糞便に大量のノロウイルス粒子が排泄され、流行拡大の一端となっている。東京都から感染性胃腸炎患者を対象にした胃腸炎起因ウイルスの検査成績が報告された(表1)。
対象者(168検体)の半数から胃腸炎ウイルスが検出され、その40検体(47.2%)がノロウイルスであり、散発患者の多いことも指摘されている。ノロウイルスの健康被害を減少させるためには感染性胃腸炎患者の継続したノロウイルス検査による散発性のノロウイルス患者の把握も必要であろう。
ノロウイルスはヒトの小腸粘膜に感染し、糞便に排泄される。ノロウイルスの流行期である冬季では、ノロウイルス患者があまりにも多いことから下水処理場に流入する汚水には多くのノロウイルスが含まれている。下水処理場では嫌気・好気活性汚泥法凝集法、砂濾過法などが検討され、凝集剤+急速濾過法や膜分離活性汚泥法、紫外線照射法がウイルスの除去効果が高いとされたが、処理場に流入するノロウイルス量が高いために、下水処理場の放流水にはノロウイルスなどの病原ウイルスやサルモネラなどの病原細菌までを完全に除去できていない。放流水に含まれるノロウイルスなどはプランクトンに摂取・付着し、最終的にはカキなど二枚貝に捕食され、食中毒の感染源となる。
水中のノロウイルス生存実験は、ネコカリシウイルスで代替実験を行うが、ノロウイルスの生存期間は気温の影響が高く、25℃では20日間、4℃では60日以上生存することが報告されている。カキの流通する冬季では海水中にノロウイルスが長時間生存し、繰り返しカキの中腸腺にノロウイルスが取り込まれるのであろう。
カキ養殖海域(河口、湾)はノロウイルス汚染のない清浄度が求められる。食品衛生法では海水100ml当たり大腸菌群(最確数)が70以下の海域での養殖規制があるが、海水中のノロウイルスは天候(降水量など)の影響も大きく、繰り返し検査が必要である。大腸菌群ではエロモナスなど河川の常在菌も大腸菌群に含まれることから、汚染指標菌は腸内細菌科菌群やノロウイルスの定量検査が望ましいと考える。ノロウイスの影響の少ない湾外の海洋での養殖も考えられるが、波の強力な力より養殖筏を固定することが困難、また外洋での養殖は二枚貝の餌となるミネラルなど栄養物やプランクトンが少ないことからカキの発育に大きく影響するだろう。
人口の少ないオーストラリアのタスマニア島では河川も少なく、安全性の高い湾で養殖され、カキのノロウイルス汚染が低いと言われているが、日本の狭い国土に1億人が生活する環境ではノロウイルス汚染のないカキ養殖場は望めないだろう。
カキに取り込まれたノロウイルスを除去するために紫外線殺菌海水、機能水処理、高圧処理など各種の方法があり、一定の効果は認められ、特に紫外線殺菌海水処理法が普及している。ただし、カキに大量のノロウイルス汚染がある際にはノロウイルスの除去率が低下することも危惧されている。
生食用カキは食品衛生法により一般生菌数がカキ1g当たり50,000cfu以下、E.coli(最確数)100g当たり230以下と規制されているが、ノロウイルスの検査法も確立されており、生食用カキの安全性評価についても再検討が必要であろう。
調理施設へのノロウイルスはカキなどの二枚貝が危害要因であることから、二枚貝の加熱は85~90℃、90秒以上の加熱によりノロウイルスを死滅させなければならない。
二枚貝を入れた容器や二枚貝と接触した調理器具・器材は塩素剤による消毒の実施。ヒトがノロウイルスを保有することから、調理従事者は石鹸での手洗いが重要である。また、健康な人がノロウイルスを高率に保有することから、トイレは調理従事者専用とし、トイレ使用時の衣類や履き物などは必ず着替えること。トイレ使用時の手の消毒はアルコールではなくノロウイルスに消毒効果の高いイソジンを使用することも考慮すべきであろう。
調理従事者がノロウイルスに感染しないためには、リスクの高い生カキの喫食を避けること。家庭で嘔吐した家族が見られた場合、と物の処理中に感染するリスクもあるため、調理従事者の家庭でもノロウイルスに感染しない最善の対策が必要である。
ノロウイルス保有者が調理中に食品汚染をさせることから、大量調理施設衛生管理マニュアルでは10月から3月の間は月1回、学校給食衛生管理基準では月2回のノロウイルス検査が義務化されている。ノロウイルス保有者はノロウイルス陰性が確認されるまで就業制限となる。学校給食でのノロウイルス食中毒では初期の頃は従業員の関与が高かったが、給食従事者のノロウイルス検査が実施された以降はノロウイルス食中毒が減少してきた。
当財団の調理従事者のノロウイルス保有率は健康者であれば夏季で1%以下、冬季では1~2%である。体調不良や軽い下痢などを呈した調理従事者のノロウイルス保有率は10月から3月の冬季では高く20~35%、夏季でも高い場合で10%が陽性となり、ノロウイルスの保有者はサルモネラと比較すると数十倍高い(図2)。しかも、ウイルス排泄期間は概ね7日、長い場合には20~30日であり、他の病原菌と比較して排泄期間が極めて長い。乳幼児では数ヶ月のノロウイルス排泄も報告されている。
なお、ノロウイルス食中毒は飲食店で最も多く認められ、その理由として生カキの提供である。ただし、原因の判明しない事例の多くは調理従事者の衛生管理に問題があるため、集団給食施設以外の一般飲食店の調理従事者に関してもノロウイルス検査を実施することが望ましいと考える。
学校給食では納入された各種のパン、和洋菓子、刻み海苔が原因で食中毒を起こした事例が多く認められる。表2は食パンによる事例であるが、原因となった食パンや作業者あるいはトイレのスリッパからも原因のノロウイルスが検出されており、パンの異物の検収時に使い捨て手袋から汚染したことが推察されている。表3は刻み海苔による食中毒事例の調査成績である。従事者が12月に嘔吐が見られたが、適切な消毒や手洗いが実施されていなかったために、長期間にわたりノロウイルスが刻み海苔を汚染したと推察されている。現在はあらゆる食品事業は食品衛生法によりHACCPの導入が義務化となり、食品製造会社では危害要因であるノロウイルス対策を確実に実施していかなければならない。
2020年から新型コロナ感染症が全世界でパンデミックを起こし、数々の対策が施行された。パンデミック前の2015年から2019年間の5年間のノロウイルス食中毒は年平均303件であったが、新型コロナ感染症流行期間は年平均78件であり、かなり減少したと考えられる。新型コロナ対策として飲食店の営業停止や時間制限により、人びとがノロウイルス食中毒発生が多い飲食店を利用できなかったこと、コロナ対策として手洗いの徹底が施行され、アルコール消毒が広く活用されたことが影響している。ただし、ノロウイルスはアルコールでは十分な殺菌効果を望めないが、洗うことにより手に付着したノロウイルス量も少なくなったと考えられる。なお、コロナウイルスの流行における調理従事者のノロウイルス保有率も極めて低くなっている(図2)。新型コロウイルス感染症が落ち着いた後はノロウイルスの流行がどのように推移していくか興味深い。
①ノロウイルスの人への感染ウイルス量が10~100粒子と極めて少量であること。
②インフルエンザウイルスなどと比較し、食品や環境中での生存性が長期間であること。インフルエンザウイルスはステンレスや布などの表面では2日以内に死滅するが、ノロウイルス(代替のネコカリシウイルス)では室温で1週間以上生存するデータも報告されている。
③人に感染しても病原性が弱いことから、健康保有者となる。健康な人のノロウイルス保有率がサルモネラと比較して数10倍以上と高く、常に食品汚染の危険性が高い。
④ノロウイルスの定着、侵入する部位は多くの微生物がいる小腸粘膜で、糞便中に大量のウイルスが排泄され、感染源となる。糞便中のノロウイルスは下水処理場をスルーしてカキ養殖区域に流れ、カキの中腸腺に取り込まれること。
⑤厚労省や地方自治体からは繰り返しカキの生食に注意を喚起しているが、人々は危険と知りながらもカキの生食をすこぶる好むこと。
⑥食品媒介以外に、と物の飛沫、手指、手すり、床などの生活環境を汚染し、人からヒトへの感染が日常的に起きていること。
今回は現在進行しているノロウイルス対策や将来の希望を述べた。これまではノロウイルスの組織培養が不可能であったために、代替ウイルスとしてネコカリシウイルスなどによるデータが報告されていたが、最近ノロウイルスの組織培養が可能となってきたので、今後はノロウイルスの基礎的研究の新たな挑戦が始まりつつある。迅速な検査法の開発や環境中での生存性、消毒薬の効果判定など、ノロウイルス対策に貢献するデータの蓄積が期待できる。
1.食品安全委員会;食品健康影響評価のためのリスクプロファイル、2018年
2.下水道におけるノロウイルス対策に関する調査委員会報告書、平成22年
3.東京都食品安全情報評価委員会;調理従事者を介したノロウイルス食中毒の情報に関する検討報告書、平成19年
4.東京都健康安全研究センター;ノロウイルス対策緊急タスクフォース最終報告、平成22年
5.(一財)東京顕微鏡院;食品従事者必携 ノロウイルス食中毒 予防と対策、令和元年改訂