2012.05.30
2012年5月30日
財団法人 東京顕微鏡院 技術顧問
農学博士 瀬戸 博
2011年3月11日の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した巨大津波)によって福島第一原子力発電所(以下、原発)が全交流電源を喪失し、原子炉が冷却不能の状態となり、炉心溶融(1-3号機)と水素爆発を起こしました。この事故により、放出された放射性物質の量は、第二次大戦で広島に投下された原子爆弾をはるかに上回ります。
私たちは、この痛ましい未曾有の事故の経験の中から少しでも教訓を学びとらなければなりません。事故後、多くの事実が解明されつつありますが、ここでは環境中への放射性物質の拡散と今後の課題について考えてみたいと思います。
文部科学省が発表している「航空機からの測定による汚染地図」(2011年11月5日基準)1)によれば、原発から北西の方向に高濃度の帯状汚染が認められます。また、南西の方向にも帯状汚染があり、その先は東京葛飾区に及んでいます。これらは、原発から漏えいした放射性物質が、その時の放出量と気象条件、特に風向にしたがって3月15日に北西方向に向かって大量降下し、その後は南西方向に拡散、3月21-22日には南西方向に拡散していったものと考えられています。
図1は原発から約200km離れた千葉市内で観測された空間放射線量率を時系列で示したもの2)で放射性物質の大気中での拡散を考える上で重要なデータです。
3月15日から17日にみられた空間線量率の一時的な増加は、主としてキセノン133(Xe-133)、ヨウ素131及び132(I-131, I-132)などによるものです。これらの放射性核種は軽いため、大部分が空気中に漂い、一部が地上に降下したと考えられます。この間、南関東では降雨はなく、放射性セシウムの沈着は少なかったのです。
一方、3月21日から23日にみられた空間線量率の上昇はそれまでの状況とは様相が全く異なります。この日、千葉市などの南関東では北北東の風が吹き、一時間に数ミリメートルの弱い降雨(図1の最下部折れ線)がありました。原発から運ばれてきた空気中の放射性物質の大部分が降雨によって地上に降下したと考えられます。このような現象は大気汚染の分野では「湿性沈着」と呼ばれています。地上に降下した放射性ヨウ素や放射性セシウム(Ce-134, Ce-137)によって空間線量率が急激に増加しました。このことは降下物中の放射線量を測定していた東京都健康安全研究センターのデータ3)でも明確に表れています。南関東では、3月15日から3月末までの期間で降雨と北北東の風向が重なった日は3月21日から23日以外にはなく、この日以後、千葉市では空間線量率の急激な増加は観測されていません。
放射性物質の大量降下は事前に予測できたもので、適切な対応をとれば無用な被ばくを避けられたのにと悔やまれます。
首都圏では、3月21日から放射性物質が地上に降下したため、22日には早くも金町浄水場の水道水からヨウ素131が210Bq/kg検出され、大きな問題となりました(乳児の暫定基準値100Bq/kg)。28日には同浄水場の汚泥から高濃度の放射性物質が検出されました。下水処理場の汚泥やゴミの焼却施設の灰も放射性物質に汚染されており、再利用、埋め立てなど処分方法に関する規則がつくられました。ヨウ素131は半減期が8日と短いため、その後、間もなく水道水からは検出されなくなりました。放射性セシウムは水中の濁質(粘土や有機質などの微粒子)に吸着し、浄水工程で大部分が除去されます。
土壌に降下した放射性セシウムは半減期が約30年と長く、深部に浸みこまず、いつまでも表面付近に留まる傾向があります。そのため、空間線量が高い場所では長期にわたって高止まり、校庭や公園などでは子どもたちの被ばくと農地では作物への移行が懸念されます。放射性物質は植物の葉、枝にも吸着しますので伐採した枝や落葉を焼却処分すると放射性物質が灰として残ることになります。
河川では、流域から流れ込んだ水に含まれる放射性物質が川底の土砂とともに溜まっています。台風など大量の降雨があった際に川底の土砂が巻き上げられて下流へ移動し、最終的には海にそそぎこみます。沼や湖の場合は、このような土砂の巻き上げと流出が少ないため放射性物質は長期間、湖底に留まることになります。淡水魚は海水魚と比べて放射性セシウムを蓄積しやすい4)こととあわせて今後の推移を見守る必要があります。
今回の事故で、原発から海に流出した放射性セシウム137の総量は最大で5,600兆ベクレルに上るとの試算を、海洋研究開発機構が発表しています5)。福島県の調査によれば原発付近の沖合20kmまでの海底土から放射性セシウムが数十から数千Bq/Kg(乾重量)検出されています6)。2012年4月の時点で、福島県沖の水産物は「緊急時モニタリング検査」が行われており、市場には出荷されていません。その調査結果によれば、イカナゴなどの表層性の魚の汚染度は低いのですが、アイナメなどの沿岸の底魚は依然として1,000Bq/kgを超えるものもみられています7)。
原子力発電所の事故を未然に防ぐことはいうまでもなく最重要課題ですが、被ばくを少なくするために、ここで述べたような一旦事故が起きたあとの対応も非常に重要です。特に、今回は「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」が活かされず、本来、避けられた被ばくを受けてしまった問題が指摘されています。SPEEDIを有効に活用し、被害を最小限にすることが大切です。
次に、子どもの生活環境を考慮して、除染対策を優先して進める必要があります。放射線量が1時間あたり0.23マイクロシーベルト以上の地域がある102の市町村は、「汚染状況重点調査地域」の指定を受け、2012年1月から施行された「放射性物質汚染対処特別措置法」による除染作業が進められていくことになります。なお、東京都と神奈川県には指定地域はありません。
また、多くの自治体が抱えている放射性物質を含む汚泥や廃棄物の安全な保管場所を確保することも緊急に必要です。
海洋と湖沼の放射性物質による汚染は今後も長く続くと予想されます。風評被害を避けるためにも検査体制を整え、汚染された魚介類を市場に出さないことと市場のチェックが重要です。
1)http://radioactivity.mext.go.jp/old/ja/1910/2011/12/1910_1216.pdf
2)http://www.jcac.or.jp/lib/senryo_lib/nodo.pdf
3)http://monitoring.tokyo-eiken.go.jp/mon_fallout_data.html
4) http://www.nirs.go.jp/information/info.php?i20#28
5) http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120306-OYT1T01065.htm
6) http://www.pref.fukushima.jp/j/koukyouyousuiiki120301-120329.pdf
7) http://www.pref.fukushima.jp/suisan/sinsai/housyanou-top.html