2023.03.15
1.ノロウイルス発見に隠された苦難の歴史 から続く
2023年3月15日
(一財)東京顕微鏡院 学術顧問 伊藤 武
細菌、ウイルスの病原微生物による食中毒の原因物質は20種類以上が明らかにされ、それぞれ対策が策定されている。しかし、これらの微生物が古くから知られていたわけではない。
保健所の食品衛生監視員による食中毒発生事例の緻密な疫学調査を基に、研究者の積み上げられた努力と探求心により病原物質が逐次明らかにされてきた。不明食中毒の微生物学的解析と予防対策の推進により、食中毒は減少となってきた。
培養は出来ないが、遺伝子解析によるノロウイルスの検査が可能となった現在、ノロウイルス食中毒は最も発生例の多い食中毒である。
ノロウイルス食中毒の位置付けを明確にするために、国内における食中毒の病原微生物の発見の歴史を解説し、4期目のノロウイルス食中毒の現況について解説する。
微生物による食中毒の嚆矢は1888年に病牛肉を喫食し57名が罹患、うち1名が死亡した事件で、ドイツのゲルトネルがサルモネラ(S.Enteritidis)であることを究明し、食品媒介による食中毒を初めて世に明らかにした。国内でも戦前からサルモネラ食中毒が注目され、その発生が報告されていた。
ブドウ球菌は1914年にフィリピンにおいて牛乳によるブドウ球菌食中毒が初めて報告されたが、1930年にダックらがケーキによる食中毒の際に検出したブドウ球菌の培養濾液の人体投与実験から、ブドウ球菌の産生毒素(エンテロトキシン)が発病に関わることを最初に指摘した。
国内でも戦後食品衛生法が施行され、食中毒検査ではサルモネラとブドウ球菌、一部ボツリヌス菌や病原大腸菌の検査が実施されていた。1952年の元厚生省の統計ではサルモネラ食中毒が43件認められ、その原因はネズミであるとの考えが中心であった。
その他にブドウ球菌食中毒33件、一部ボツリヌス食中毒が報告されるに過ぎなかった。その当時ではキノコなど植物性食中毒が64件、フグなどの動物性食中毒が145件であり、自然毒による食中毒が最も多い時代であった。原因不明食中毒がなんと1,099件(75%)もあり、食中毒の原因物質の究明が重要であった。
1950年(昭和25年)、行商が販売したシラス干しを原因食とする食中毒により、272名の患者とその内20名が死亡する大事件が発生し、大阪大学藤野恒三郎らにより原因究明がなされた。患者や死者の腸内容からの血液寒天培地より新種の細菌(仮称Pasteurella parahaemolytica)が発見されたが、その重要性については誰もが注目していなかった(表1)。
その5年後(1955年)、横浜国立病院の滝川巌らは病院の給食に提供されたキュウリの塩もみによる集団食中毒の際に食塩が7.5%添加されたブドウ球菌用培地から、好塩性のある細菌が原因と推定した。分離菌株を7名の篤志家に感染実験をし、病原性を確認した。
さらに滝川らは5年ほど前に学会で藤野らが報告した集団例と胃腸炎症状が類似することから両菌株を比較し、好塩性のある同一性状の細菌であったことから「病原性好塩菌」と仮称された。その後1959年夏に静岡、千葉、神奈川、東京など各地においてアジによる大規模な病原性好塩菌による食中毒発生により、本菌に関心が高まり、積極的な研究が開始された。
元厚生省も食品衛生調査会を設置し全国的な調査が行われ、「病原性好塩菌」は海水に分布し、海産性の魚に高率に汚染されていることが明らかにされた。坂崎利一による分類学的研究により、新菌種であることから正式な学名はVibrio parahaemolyticus(腸炎ビブリオ)とされた。
1962年の統計には腸炎ビブリオ食中毒の発生件数が273件、その後も決定的な対策が施行される2005年までの35年間は腸炎ビブリオ食中毒が常にトップであり、国内では最も重要な食中毒菌となった。本菌の食中毒解析や自然界における生態などの研究から、魚介類の衛生対策が徹底し、現在は年間10件以下に減少してきた。
著者らは腸炎ビブリオが発見されたにもかかわらず原因不明食中毒が多数あることから、その原因究明に積極的に取り組んできた。その結果、ウエルシュ菌、嘔吐型セレウス菌による食中毒を明らかにしてきた。
さらに、著者らはベルギーのBuzlerらの研究に注目し、カンピロバクターの検査法を確立し食中毒検査に応用したところ、1979年に東京都内の集団事例から国内で初めてカンピロバクターを検出した。1983年には元厚生省はウエルシュ菌、セレウス菌、カンピロバクター、エルシニア属菌、ナグビブリオの5つの病原菌を食中毒菌として指定し(図2)、それにより原因不明中毒は20%に減少した。
その後においても米国、カナダ、英国で報告されてきた腸管出血性大腸菌による国内での食中毒事例を明らかにし、その重要性を指摘してきた。
ノロウイルスは初期の頃では電子顕微鏡による形態観察からSRSVと仮称され、1997年に元厚労省は食中毒起因性のウイルスとし、1998年には食中毒統計に計上されたことは前号で述べてきた。
一方、厚労省の感染症発生動向調査では、1993年からの小児科の定点観測から「乳児嘔吐下痢症」と診断された糞便の電子顕微鏡による検査からロタウイルス、アデノウイルス、およびSRSVが検出されていた。
冬季の乳児嘔吐下痢症患者から年間約200~350例のSRSVの検出となり、発見の初期の頃ではノロウイルスによる疾患は集団食中毒よりは乳児の嘔吐下痢症の原因菌として注目された。
元厚生省は1998年からの食中毒統計にノロウイルス食中毒を計上した。当時の国内の食中毒は第1位が腸炎ビブリオ、第2位がカンピロバクターで、ノロウイルスは病原大腸菌に次いで第4位の発生例があったが、2005年に魚介類の腸炎ビブリオの規格基準の制定や低温保存等の対策がなされ、暫時減少してきた。
ノロウイルスとカンピロバクターの検査が充実するに従い、国内の食中毒の発生原因菌は大きく変化し、ノロウイルスとカンピロバクターが主体となってきた(図3)。ノロウイルスの患者数は年次により変動が見られるが、多い年では2万名以上である。
乳児の嘔吐下痢症の原因ウイルスとされた当時から、冬季に発生が多いと指摘されていた。食中毒事例も、12月から4月にかけて多発し、年次により変動が見られるが、12月、1月、2月に最も多い。夏期の6~9月に減少し、これらの月では10件以下となっている。
厚生労働省は患者500名以上の大規模食中毒として集計し、予防対策の推進に活用している。2010~2019年間の大規模食中毒は23件報告され、その内ノロウイルス食中毒が11件で最も多く、その原因施設は仕出し屋、旅館、学校給食であった。
ノロウイルス食中毒は飲食店による発生が最も多く、全体の68.2%(2010-2019年)を占め、次いで旅館、仕出屋となっている。注目しなければならないのが、事業所、高齢者施設、保育所、学校の各給食施設での発生が多いことである。
ノロウイルス食中毒の原因施設については判明できているが、原因食品の判明率は12.4%(2010-2019年)と低い。判明した原因食品は汚染されていたと考えられるカキ(生カキ、酢カキ、加熱カキ)が最も多く、258件、その他の貝類(アサリ、ホッキ貝など)が5件である。その他の食品としては餅(20件)、サラダ(15件)、和え物(22件)、洋和菓子(8件)、パン(3件)、寿司(39件)、その他に漬け物、おろし、おにぎりなどが報告されているが、これらの原因食品は従事者の手指からの汚染と考えられる。
また、著者らが指導してきた学校給食の調査では、表2のとおりノロウイルスに感染していた調理従事者が汚染源となったと考えられる事例が多く認められる。また、学校給食に提供されたパン(11件)、和洋菓子、刻み海苔の事例では、食品工場の従事者の手指を介して食品が汚染したと考えられた。
原因食品の判明率が低いのはノロウイルスの感染量は極めて低いことから、遺伝子検査においても原因食品からのノロウイルスの検出が困難であることも影響しているかも知れない。
食中毒事例や乳児嘔吐下痢症から、ノロウイルスの感染経路は図4に示すように患者や健康保有者が感染源となり、①食品媒介による食中毒と②患者のと物や手指を介しヒトからヒトへの感染を起こすことが明らかにされた。
表2はノロウイルスによる学校給食を原因食品とする集団事例の解析成績である。いずれもノロウイルス患者や保有者の手指を介して食品が汚染されたことが推察されている。また、パンによる事例では患者と同じ遺伝子型のノロウイルスがパン製造業の従業員やパンからも検出され、ヒトから食品への汚染が考えられた。
カキなど二枚貝を原因食とする事例では、下水処理施設から流出したノロウイルスがプランクトンに摂取され、二枚貝がノロウイルス汚染のプランクトンを摂取することにより二枚貝の中腸腺にノロウイルスが保有されることも明らかとなった。
過去においては腸炎ビブリオやサルモネラ食中毒が国や自治体の食品衛生担当者あるいは事業者の積極的な対策の推進により、著しく減少してきた。発生数の高いノロウイルス食中毒は、感染源がノロウイルス患者や健康保有者であることから、ヒト対策が重要であると考えている。
厚生労働省生活衛生局 食品保健課偏:平成7年 食中毒統計、
伊藤 武:食の安全と微生物検査、10(1)、31-40、2020
伊藤 武、西島基弘:イラストで楽しく学ぶ食中毒の知識、講談社、2022