このたびは、たいへん多くの優れた研究テーマが応募されましたが、選考委員会による厳正なる審査を重ね、当法人医療法人合同の経営会議にて協議した結果、栄えある第5回遠山椿吉賞受賞者を決定いたしましたので、発表いたします。
受賞された方々には、こころよりお祝い申し上げます。
受賞者 | 加藤 昌志 (名古屋大学大学院医学系研究科 環境労働衛生学 教授) |
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テーマ名 | オーダーメイドで飲用水の安全性を評価できる技術の開発と実践 |
21世紀は、「水の時代」と言われ、生命の維持に直結する飲用水をめぐる紛争が世界各地でおこっている。地球温暖化による降雨量の格差の拡大は、水に関する紛争に拍車をかけている。こうした状況のもと、開発途上国を中心に井戸水の飲用水としての利用価値はますます高まっている。一方、バングラデシュ等のアジア地域には、数千万人を超えるとも推測される慢性ヒ素中毒患者が発生し、さらに、患者から多数の癌患者が発生している。また、健康リスクとなる濃度のヒ素を含んだ飲用水を飲まざるをえないヒトがアジアで2億人以上にのぼる(Sun et al. J Health Popul Nutr 2006)との試算もあり、本問題は、アフリカでの飲用井戸水の分析が進むにつれて、さらに広がると想定される。ヒ素に加えて、日本等でも飲用水の基準値等が制定されているバリウム・マンガン・鉄等の有害元素飲用について、健康被害が報告されており、飲用水に含まれる有害元素汚染は地球規模の環境問題となっている。
アジアのどこの地域が、どんな種類の有害元素に飲用井戸水汚染地域を特定するフィールドワーク調査(公衆衛生学研究)が不可欠である。
健康リスク評価技術を向上できれば、元素の健康リスクをより正確に評価できる。疫学研究を用いて元素の健康リスクを評価するのが最良ではあるが、倫理的問題もあり、ヒトでの評価は限界がある。動物・細胞を用いた最先端の分子生物学研究の導入により、元素の健康リスクを、メカニズムを含めて詳細に評価できる一方、ヒトとの種差を埋めることはできない。
アジアの飲用井戸水が単独の元素に汚染されていることは稀であるにもかかわらず、有害元素の健康リスクは単独曝露でしか評価されていない。本矛盾の解決には、WHO等の飲用水の基準値と飲用井戸水に含まれる単独の元素濃度の比較だけで不十分で、対象地域の飲用井戸水の汚染状況に合わせ、オーダーメイドで健康リスクを評価できる技術が不可欠となる。
単独元素に有効な浄化剤では、複数元素に汚染された飲用井戸水の安全性を確保できない。オーダーメイドの健康リスク評価により特定される地域ごとで異なる浄化すべき複数の有害元素を過不足なく浄化することが望ましい。
受賞者らは、アジア各地でフィールドワーク研究を展開し、飲用井戸水を採取し、LC-ICP-MS等の最先端分析装置を用いて、66元素の濃度分析を進めている。本研究における飲用井戸水のフィールドワークにより、新しい地域の新しい有害元素汚染が次々と報告されている。
受賞者らは、疫学研究と実験研究におけるそれぞれの長所短所に基づき、より正確で、簡便かつ実践的な健康リスク評価技術の開発を進めている。
例えば、WHO飲用水ガイドラインでは比較的毒性が低いと評価されているバリウムに焦点を当て、毒性を再評価している。世界で初めてバリウム単独での発癌毒性と聴覚毒性を細胞・動物で提案した。さらに、飲用水に含まれるバリウム濃度とヒト検体(毛髪・爪・尿)に含まれるバリウム濃度の関係を解明するとともに、ヒト検体に含まれるバリウム濃度が聴力と相関することを示した疫学研究により、バリウムの聴覚毒性をヒトでも証明した。
バングラデシュでは、他のアジア地域の飲用井戸水ヒ素汚染地域に比較して極めて癌患者の発症率が高い。受賞者らは、バングラデシュの癌多発地帯の飲用井戸水には、ヒ素だけでなくバリウムや鉄の濃度が高いことに着目した。そこで、癌多発地域の飲用井戸水およびヒト検体(毛髪・爪・尿)において、平均的に含まれる濃度の「ヒ素とバリウム」および「ヒ素と鉄」を複合曝露されることにより、発癌毒性が相乗的に亢進することを示した。以上のように、地域の特徴に応じたオーダーメイドの健康リスク評価法を提案するとともに、リスク評価を実践した。さらに、癌多発地域における慢性ヒ素中毒患者の尿中にはPlacental Growth Factor(PlGF)統計学的に有意に高いことを示した。さらに、PlGFがヒ素誘発癌に中心的に作用することをメタロチオネインと関連づけながら実験的に証明し、尿中PlGFが慢性ヒ素中毒患者の発癌予測マーカーになる可能性を提案した。一方、日本人では、メタロチオネインの遺伝子変異が種々の疾患に与える影響を疫学的にヒトで解析した。
アジアの開発途上国の飲用井戸水は、複数の元素に汚染されているため、単独元素のみに有効な浄化剤は実用性が低い。受賞者らは、アジアの飲用井戸水に含まれる3価と5価のヒ素・鉄・バリウムをすべて吸着できるだけでなく、極めて安価に現地でも生産可能な浄化剤を開発した。
≪ 受賞対象業績の概要説明 ≫
【独創性】
① フィールドワーク調査により飲用井戸水に含まれる複数の有害元素を解明し、
② 地域の特徴を勘案して「オーダーメイドで飲用井戸水の健康リスクを評価」し、
③ 独自に開発した浄化剤(特許5857362号)で除染する公衆衛生学研究を実践している。
【有効性】
5価ヒ素・3価ヒ素・バリウム・鉄を同時に吸着できる浄化剤を開発した。
【経済性】
家族4人が20リットル/日の井戸水を飲用すると仮定した場合に、ほぼ最高濃度に汚染されたヒ素・バリウム・鉄を浄化するのにかかる実費は<0.1円/家族/日と試算される。極めて安価な本浄化剤は、開発途上国の支援に適している。
【貢献度】
本浄化剤は、バングラデシュだけでなく飲用井戸水有害元素汚染問題を抱える世界各地の飲用井戸水の安全性の向上を介し、公衆衛生の向上に貢献できる。
【将来性】
アジアには、受賞者等の研究室に浄化剤に興味を持ち、協力を伝えてくれた政府機関もあり、実用化・普及への期待が持てる。
受賞者 | 原田 浩二 (京都大学医学研究科環境衛生学分野 准教授) |
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テーマ名 | 福島第一原子力発電所事故による食品・環境からの放射線被ばくのリスク評価 |
2011年3月11日に東北地方で発生した地震と津波によって福島第一原子力発電所に事故が起こり、放射性ヨウ素、セシウムなど多量の放射性核種が日本北部および太平洋に放出された。事故の直後に原子力発電所の20km圏内の住民に避難指示が出されたが、その圏外には人々が生活していた。福島県の居住地域の土壌におけるセシウム137汚染量は早くに報告されているが、汚染した食品摂取および大気中に再浮遊する粉じん塵の吸入による内部被ばく量、また外部被ばくとそのリスク評価が必要であった。2011年7月より、財団法人東京顕微鏡院からの支援を受けて調査を行ってきた。
住民の被ばく量の評価にあたり、個々人の被ばくの実態を知ることを目的として、個々の食品のスクリーニングだけでは不十分であった。1日の食事全体で摂取する放射性セシウムを評価するため、陰膳法により調査を行い、精密測定を実施した。また比較として大気粉じんの吸入による被ばく、汚染土壌からの外部被ばくを評価し、被ばく全体の内訳を明らかにした。最終的に、福島原発近隣において住民の長期被ばく量の予測と影響評価を行った。
2011年7月における調査では、市場の食材から作成された陰膳試料に含まれる放射性セシウムは、1日あたり平均1.1ベクレルで年間の内部被ばくは6.4マイクロシーベルトと推定された。食材ごとの分析でも支持される結果を得た。避難地域を除いて大気粉じんからの被ばくは年間3マイクロシーベルトを下回り、内部被ばくはいずれも大きくなかった。さらに市販食材ではなく、地元の食材も使った一般家庭での陰膳調査を2011年12月に行い、この場合でも1日の摂取量は中央値で4ベクレルであることを示した。
さらに2012年8月、9月に内部被ばく、外部被ばくを避難地域近隣で調査し、2012年の年間総被ばく量は川内村で0.89mSv、相馬市で2.51mSv、南相馬市では1.51mSvであることを示した。年間総被ばく量の長期予測では、放射性セシウムの減衰により、年間の平均被ばく量は、平常時の自然放射線や医療被ばく以外の被ばく限度である年間1ミリシーベルトを超えることはほとんどないと予測された。また、2012年以降の生涯被ばく線量から推計される平均的な発がんリスクは最大でも1.061%であり、生活習慣によるがんの追加発症リスクよりも小さい結果となった。
○ 特に「食品の安全」「食品衛生」「食品の機能」「食品媒介の感染症・疾患」「生活環境衛生」等に対する独創性、将来性、有効性、経済性、貢献度等について
原子力発電所事故に伴う放射線被ばくという経験はチェルノブイリ原子力発電所事故に大きく依拠してきた。しかしながら、福島第一原子力発電所事故への対応にあたり、日本の実情をもとに被ばくに与える要因を明らかにすることが必要であった。実際の住民における個人モニタリングから得られる情報により、安全性が担保されていることを示した点で大きく貢献した。また手法において陰膳法を採用し、公衆一般に実感しうる方法でリスクコミュニケーションを行えた点で価値があると考えられる。本調査は被災地域の復興支援でもあり、地域住民の長期被曝レベルの予測も行い、将来の見通しを提示した点でも行政的に重要と考えられる。