受賞された方々には、こころよりお祝い申し上げます。
受賞者 | 岡山明(公益財団法人 結核予防会 第一健康相談所 所長、生活習慣病予防研究センター長) |
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テーマ名 | 医療費評価を通じた医療保険者の保健事業の質向上に関する研究 |
我が国では平成20年に特定健診・特定保健指導制度が導入され、医療保険者が国民の循環器疾患予防を担う仕組みが形成された。医療費支出からみると高血圧を始め循環器疾患の占める割合が高く、保健事業を通じ医療費の適正化を目指すものである。私は今から23年前に開始した「コレステロールを下げる健康教育の研究」以来一貫して、喫煙、脂質異常症、高血圧症、糖尿病などの生活習慣病の予防とその評価に関する研究を実施してきた。その成果の一部は個別健康教育(老人保健事業、健康増進法)や特定保健指導制度に反映している。
結核予防会第一健康相談所に赴任して以来現場の保健指導者の育成にもカを入れておりメタボリックシンドロームの健康教育(保健同人社刊)などの保健指導者のための教科書も作成してきた。この活動を通じ市町村医療保険者、各県国保連合会および組合医療保険者との良好な関係を構築でき保健事業を医療費の視点から評価する大規模な研究研を実施することが可能となった。
また研究プロトコールと質的管理を担当した「治療中のものに対する保健指導の有効性に関する研究事業」(H20-22年厚労省研究事業)では生活習慣病治療中のものに対して特定保健指導と同等の保健指導を実施することで、検査成績の改善や医療費減少効果があることが明らかとなった。
本研究では従来検査成績や生命予後を評価指標としていた保健指導について、保険者の協力により収集した大規模データ(約234万人)を用いて保健事業を医療費の視点から評価し、保健指導の効果評価を行った。現在ではこの研究成果を元に高血圧治療中のものに医療保険者の保健師等が行う保健指導の効果を、医療費分析により証明することをめざし活動している。
第一の研究では医療保険者の保健事業が医療費の適正化を目指して行われることに着目して、特定健診・特定保健指導の個別データと個人別年間医療費をまとめた統合データセットを作成することを目指した。多数の医療保険者を対象とした健康診断、保健指導情報や医療費データを収集管理するためには簡便で安全性の高いデータ管理の仕組みを作成する必要性があった。このため匿名化台帳を整備して各保険者の手元に置き、連結可能匿名化された情報を中央に収集することで、234万人分の医療費、61万人の特定健診保健指導情報を収集して、健診情報と医療費の関連、特定保健指導の医療費用の効果分析を行う仕組みを構築した。
研究では最終的に17保険者の協力を得ることができて、対象者234万名のH19年から三年間の医療費とH20、H21年の特定健診・保健指導データの収集を行うことができた。特定健診受診者61万人を対象にした分析では健康診断受診者と非受診者では年齢と医療費の関連が異なること、治療中のものであってもBMIと医療費には密接な関連が見られることが明らかとなった。また特定保健指導の指導効果については同じ階層化基準となったものと比較したところ、積極的支援では有意に医療費の伸びが抑制され、その差は年間3266点であった。一方動機付け支援ではほとんどだが見られなかった。以上から特定保健指導、特に積極的支援を行うことで医療費の伸びを抑えられる可能性が示された。
特に独創性、将来性、有効性、経済性、貢献度等について
医療費は個人差が大きく、年齢との関連も強い。数万人規模のデータセットの分析では年齢などの影響を十分考慮した分析が困難となる。特に保健指導などの効果分析では、対象者が十分でないために有意性を証明できない場合がある。本研究では多数の保険者の協力を得たことで、計234万人に及ぶ健康診断情報と医療費に関する我が国最大のデータセットを作成することで十分な標本数を確保することができた。今後のNDB(ナショナルデータベース)の活用法にも示唆を与えるものと考える。この分析によって、保健事業と医療費に関する分析の基本的な手法を明らかにできたことは今後の研究の重要な基礎となると考えられる。
保健指導の有効性に関する分析では、保健指導を受けることで重点支援では医療費効果が認められたが、動機付け支援では認められなかったことから、生活習慣病の程度が重症なほど指導効果があることが示された。分析結果からは生活習慣病の治療中のものの医療費は、一般人と同様にBMIや生活習慣と密接な関連があり、医療機関で治療中であっても生活習慣の改善により医療費が適正化される可能性が示された。
現在では、この研究成果を元に特に重症化予防の視点から生活習慣病治療中のものに着目した研究に発展している。
受賞者 | 伊藤千賀子(医療法人 グランドタワー メディカルコート 理事長) |
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テーマ名 | 日本人の糖尿病診断基準に関する疫学研究 -ブドウ糖負荷試験の経年観察データに基づく- |
日本における糖尿病診断に関する疫学研究は乏しく、糖尿病診断基準についても1970年に日本糖尿病学会が糖負荷試験における糖尿病診断基準委員会の報告として、初めてOGTTの判定区分を公表していた。当時日本では50g法と100g法が実施されていたためにこの2つの方法による判定であって、国際的な整合性はなく日本独自のものであった。しかし、1980年になって世界的にOGTTの判定区分が検討されWHOから75gのブドウ糖負荷量によるOGTTの判定基準が提案された。当時の日本は75g法のデータは皆無であり、WHOの診断基準をそのまま日本で利用するほかはなかった。
日本人の75gOGTTのエビデンスを明らかにするために1965年から固定集団(広島在住の原爆被爆者)を対象にコホートを立ち上げ50gOGTTで経過観察を行ってきていたが、1980年からこのブドウ糖負荷量を50gから75gに変更してOGTTの経過観察を継続してきた。この研究はブドウ糖負荷試験(OGTT)を中心とする一貫した手法で経年観察を行い、6万件に及ぶ完璧なデータ収集と解析により行った。その結果を1999年の診断基準および2010年の糖尿病診断基準では後に述べる日本人のエビデンスとして診断基準に活用することができた。以下、その中から年代を追って研究成果を要約する。
特に独創性、将来性、有効性、経済性、貢献度等について
本研究は1965年から40年余りにわたり継続した糖尿病の疫学研究である。これにより日本人2型糖尿病の発症過程にインスリン抵抗性が関与することを明らかにし、また、OGTT2時間値≧140または1時間値≧180mg/dlを高危険群とする妥当性を示した。これにより個人の生活習慣に基づいたテーラーメイド介入が糖尿病発症を60%以上抑制することを示し、糖尿病発症予防に大きく貢献している。わが国における糖尿病頻度が推定され、1998年と2008年に厚生労働省から公表された。これは糖尿病と診断されているものとHbA1c値≧6.5%を合わせてある。この推計方法の確立で日本人糖尿病の実態が明らかになり、増加する糖尿病に対する予防活動へと発展している。本研究は社会貢献として吉岡弥生賞を授与された。2009年になってHbA1cを糖尿病診断に加えることが米国やヨーロッパの糖尿病専門家で協議された。日本では本研究の中で、1984年からOGTT 受診者にHbA1cが高い精度で測定されてきた。2010年の糖尿病診断基準では糖尿病の早期発見を目指してHbA1c (NGSP)≧6.5%で血糖値も糖尿病型であれば糖尿病と診断することが可能になった。このことは糖尿病の早期発見・早期管理を可能にしており、糖尿病合併症の予防につながる。また、この時期には食事療法や運動療法で薬を使うことなく糖尿病が管理できることから医療経済的にもメリットが大きい。これらの基準を日本人のエビデンスに基づいて決めたことは長期にわたる本研究の大きな成果と言える。
受賞者 | 西浦 博(東京大学大学院 医学系研究科 国際保健学専攻 国際保健政策学 准教授) |
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テーマ名 | 感染症流行のリアルタイム分析と疫学動態の定量化 |
受賞者は医師としての経験をバックグラウンドに持ち、感染症学領域で数理的アプローチに基づく疫学研究を行ない成果を上げてきた。従来、感染症の理論疫学研究には解析的・数学的なものが多かったが、受賞者は観察データの生成過程を捉えた統計モデルを構築することにより、一貫して定量的研究に拘りを持って応用研究を遂行してきた。卓越した研究能力によって膨大かつレベルの高い研究成果を挙げてきたことはもちろん、突発的な新興感染症(重症急性呼吸器症候群(SARS)や新型インフルエンザ、鳥インフルエンザ等)の発生直後にリアルタイムで研究を実施し、それを確実に社会に還元し、その研究スタイルを1つの専門分野として確立したことは特筆に値する。感染症の流行発生時に収集すべき情報を明らかにし、それを即座に分析して社会にフィードバックする研究システムの構築は、将来の感染症予防医療の核となり得る業績である。
研究の主な目的は、新型インフルエンザを含む新興感染症が発生した際、流行途中(特に流行初期)のデータを分析し、その感染性や毒性を統計学的に推定することで疫学的特徴を把握し、必要とされる流行対策の内容・量を社会に還元すること、である。
具体的な研究成果として、パンデミックH1N1-2009の疫学研究が挙げられる。流行初期に感染性および毒性の指標である基本再生産数と致命割合をそれぞれ推定した。それだけではなく、流行途中及び流行後にこれら推定値のアップデートを続け、それを国連機関や政府機関に提供するという社会貢献度の高い研究姿勢は特に高く評価される。また、インフルエンザは感染者全てが観察されない問題があることから、家庭内伝播や血清学的調査をリアルタイムで実施することによって問題点を解決する研究も提案し、観察問題を大幅に改善する方法論の発展にも貢献した。その成果を糧に、2013年4月の鳥インフルエンザH7N9の流行では、世界初の報告となるヒト-ヒト感染能の推定値(再生産数)を報告し、即座にパンデミックが生じる可能性が極めて低いことを客観的に示した。感染症だけに特化して研究を行なってきたため、多数の感染症研究歴があり、インフルエンザ以外にもHIV/AIDS、マラリア、結核、デング熱、口蹄疫・BSE、SARS、天然痘、ペストなどの疫学研究に取り組み、日本人を代表して理論疫学研究成果を報告してきた。
研究成果は個々の感染症の分析結果に留まらず、リアルタイム分析という専門課題を分野内で確立することで疫学研究および予防医療の構築に多大な貢献をしてきた。ある突発的な流行が生じた際に、どのようなデータを収集すべきなのか即座に判断し、また、現存する情報をどのように噛み砕いて解釈すべきなのか、瞬時に考察可能な研究者は西浦氏だけである。その専門性を惜しみなく他者に共有し、研究体制そのものを公衆衛生システムの一部に融合した成果は極めて高く評価される。
特に独創性、将来性、有効性、経済性、貢献度等について
感染症の流行時に手に入るデータを基にアイデアを絞り、データの生成過程に集中して個々のモデルを構築する点は世界でも他にない独自のオリジナル研究スタイルと言える。モデルを使用するだけでなく、その妥当性を検証し、観察データを分析することで説得力のある国内唯一の議論を展開できることも大変独創的である。まだ年齢が30歳代後半と若いが、今後の日本の疫学研究の旗頭として活躍され、次世代の研究・教育に多大な貢献をするものと期待される。