東京顕微鏡院とその時代
外交官 安達 峰一郎
東京顕微鏡院創立25年兼改築落成記念祝賀会では、安達峰一郎メキシコ特命全権公使が祝辞を述べました。安達峰一郎は、遠山椿吉と同郷の山形県東村山郡山邊村(現山辺町)出身で、椿吉の弟彌十とは同級生で竹馬の友でした。
安達峰一郎氏 略歴※1
- 明治2年
- 6月19日 山辺町高楯の安達久左衛門家に長男として生まれる。
- 明治22年
- 東京帝国大学法科大学入学。国際法を中心に研鑚を積み、仏、伊、英の3ヶ国語に熟達した。
- 明治25年
- 7月 東京帝国大学卒業。
9月 外務省に入省。 - 明治26年
- イタリア在勤、外交官生活が始まる。
- 明治38年
- 7月 日露ポーツマス講和会議全権団の一員として全権を補佐し活躍する。
- 明治40年
- 法学博士の学位を受ける。
- 明治41年
- 条約改正取調委員となる。
- 大正2年
- メキシコ公使として赴任。
- 大正3年
- 第一次世界大戦勃発する。
- 大正5年
- ベルギー公使となる。
- 大正8年
- パリ講和会議全権随員として各種委員会に出席して活躍。
- 大正9年
- 第1回国際連盟総会日本代表随員を拝命。
- 大正10年
- ベルギー大使、国際連盟日本代表となり、以後、第10回総会まで日本代表を務める。
- 大正13年
- 「ジュネーブ議定書」で孤軍奮闘する。
- 大正14年
- 帝国学士院会員となる。
- 昭和2年
- フランス大使となる。
- 昭和4年
- ハーグの対独賠償会議で仏・英の対立を調停、会議を成功に導く。
- 昭和5年
- 常設国際司法裁判所判事に最高点当選。
- 昭和6年
- 同裁判所長となる。
- 昭和9年
- 12月28日 永眠
- 昭和10年
- 1月 オランダ国葬、常設国際司法裁判所所葬で送られる。
※1:参考)HPやまのべ人物伝