トピックス
新院舎第一実験室 1915(大正4)年
さまざまな資料からひもとく
ストーリーを
当時の原文とともにご紹介します
記事一覧
- 山辺町発行の冊子「やまのべPride」に遠山椿吉と東京顕微鏡院が紹介されました 平成29年3月31日発行の「やまのべPride 日本へ、世界へ。山辺町をもっともっと自慢したくなる本」に、遠山椿吉博士と東京顕微鏡院が紹介されました。 「遠山椿吉」 山辺町出身の遠山椿吉の生い立ちや、明治24年...
- 明治期の学位事情 医学博士が88人の時代 明治37年2月発行の「博士試験論文集」(博文館)によれば、明治37年当時の医学博士の数は日本全国で88人、そのうち4人は故人のため、実質84人のみでした。遠山椿吉は明治36年、ペストやコ...
- 東京市衛生試験所 東京市衛生試験所開設 明治33年8月、東京市の衛生試験の機関として設立の建議が行われ、明治35年3月1日に開所されました。その初代所長として、明治33年6月に東京市技師に任ぜられていた遠山椿吉が就任し、上水...
- 学校保健 小学校児童の体格疾病実態調査(明治45年)から法案成立(大正8年)への道程 1907(明治40)年から6年間、芝浦特殊小学校児童の各種身体検査(体格、脊柱、眼疾、耳疾、齲歯、疾病)を行い、論文を発表。眼病と齲...
- 結核予防の普及啓発 結核予防劇 1917(大正6)年当時、死亡率(対十万人)が男性212.1人、女性249.1人※と主要死因において死亡率第一位であった結核について、その知識を普及啓蒙するため結核予防劇を上演し、遠山椿吉は日本結核予...
- 東京顕微鏡院の創設 東京顕微鏡院の誕生 1891(明治24)年3月28日発行「東京医事新誌」第678号に、東京顕微鏡院の前身、顕微鏡検査所の創設が記事および広告として掲載され、記事には「斯かる高尚にして且つ有益なる事業の我が学問界...