東京顕微鏡院とその時代
東京顕微鏡院(神田小川町)1896(明治29)年当時
"顕微鏡/東京顕微鏡学会雑誌"から
東京顕微鏡院と創業者遠山椿吉の
生きた時代について
原文でご紹介します
記事一覧
- 明治29年当時の東京顕微鏡院規則 東京顕微鏡検査所を創立した翌年の1892(明治25)年4月に、第一回顕微鏡講習科を開講し、同年7月に東京顕微鏡院と改称し、初代院長に遠山椿吉が就任して卒業式を行いました。 添付は明治29年11月に改定した東京顕...
- 顕微鏡院卒業式 卒業試験を無事合格すると、晴れて卒業式となります。卒業式や記念撮影など、現代と同様の行事が行われると同時に、当時は天然痘疱などの標本も展示され、顕微鏡で縦覧していました。 1896(明治29)年「顕微鏡...
- 顕微鏡講習科卒業試験問題 昔も今も変わらずあるのが試験ですが、中でも卒業試験は卒業をかけた大事な試験です。今から100年以上前の明治時代、東京顕微鏡院の顕微鏡講習科と種痘術講習科の卒業試験が掲載されています。筆記とともに実地...
- 鎌倉にて命を拾ひ東京にて産を失ふの記 関東大震災当日、遠山椿吉は鎌倉の自宅で被災しました。「…危險より遁れんが爲め、壹尺でも、壹寸でも、家屋より遠ざからんと焦つたが、奇なることには平伏したまゝ、身體の自由を失つて、立つ事は固より、這ふ...
- 衛生上の帝都復興策 関東大震災からわずか8ヶ月後、遠山椿吉は衛生上の帝都復興策と題して、瓦礫が残る東京の衛生面から見た復興計画を提案しています。 「…都市計畫も、罹災前には一部の改造に忍ばねばならぬ苦心もあつたが、今度は...
- 外交官 安達 峰一郎 東京顕微鏡院創立25年兼改築落成記念祝賀会では、安達峰一郎メキシコ特命全権公使が祝辞を述べました。安達峰一郎は、遠山椿吉と同郷の山形県東村山郡山邊村(現山辺町)出身で、椿吉の弟彌十とは同級生で竹馬の...
- 博士号取得 明治36年遠山椿吉は、提出論文が東京帝国大学教授会において、大学院修了者と同等の学力を有すると認められ、医学博士の学位を授与されました。→医学博士が88人の時代 恩師で帝大衛生学教室の緒方博士は、「殊に...
- 明治・大正の東京の水道・上水協議会 水道など 「東京市衛生試験所」 1900(明治33)年「顕微鏡38号」* ・東京市衛生試験所設置の計画 「東京市改良水道ノ衛生学的観察」 1905(明治38)年「顕微鏡66号」* ・顕微鏡学会で発表された遠山椿吉...
- 東京顕微鏡院について 1891(明治24)年創設の東京顕微鏡院は、1911(明治44)年に創立20周年記念式を挙行するとともに、雑誌「顕微鏡」第100号を記念して、当時の事業の規模や内容、設備などをまとめた「東京顕微鏡院要覧」を刊行しま...